20年前の7/20、長男が生まれました。
正常分娩でしたので、初産の大変さは人並みで
さほどトラウマになることなく通り過ぎていってくれたと思います。
とはいえ、産道から会陰を裂きながら出てきましたから、
裂傷を縫うのがとっても苦痛でしたけれど。
しかしながら・・
生まれ出た瞬間から始まる子どもを育てる過程というものは、
なんと果てしなくつづく修行のようなものなのでしょう。
子どもの小さい頃は、それこそ自分達の価値観を暴力的に押し付けていることに気が付かないまま無我夢中で子育てし、
その子なりの反発などのアピールがあって初めて、そこでハタと立ち止まる機会に気づきます。
(気づかないまま、ガンガン、ごり押ししていく大人も多々あり。これって結構深刻。)
親というものは、自分の価値観で子どもを振り回し、
随分と傷つけながら育てていくものなのかもしれない。
子どもというものは、何らかの傷を抱えながら成長し、
その傷を癒していく心の旅を大人になってずっとしていくものなのかな?と感じたりしています。
だから子どもだった私もあなたも、そんな心の旅の途中なのですね。
生きていく中で
自分自身と向き合い、
過去に取り込んで鬱積しているトラウマたちと向き合う時が
時々必要になることがあります。
子どもを育てていると、そんな機会がビシバシと飛んで来るので、
私は子育てでそれを体感させてもらっているんだなって感じます。
これって、結構ツライものなのだなぁと最近になって思うんですよ。
柳美里さんの著書「ファミリー・シークレット」の新聞広告に
・・・子どもなんて、いなければよかった。・・・
という一文があって、ドキリとしてしまいましたもの。
そして
親としての私は、随分と長男を傷つけながらここまで来てしまいました。
のんびりとマイペース、
何をやってもパッとしない、すぐに諦めてしまうあの子を
どれほど叱咤激励ばかりしたことでしょう。
あの子らしさを認めているつもりでも、
実際は認めてもらえていない枯渇感いっぱいで、本人も随分と苦しんできたことでしょう。
20年後の7/20、お昼12時頃(丁度生まれた時刻でもあります)。
ランチしたお店で何気なく手に取った小冊子の一文が
琴線に触れました。
『 「自信がない。けれど人は良い、気も優しい、変わりたい願望の強い、けれど意志の弱いヒト」。
こういうヒトは素敵なヒト予備軍です。
そういうヒトがボクは大好きだし、そういうヒトが何かのきっかけで素敵なヒトになるとき、
骨を折った甲斐があったなと思うのです。 』
Cafe Mamehico マメヒコ五周年記念特別刊より
カフェのオーナーがスタッフとともに仕事をするときの想いを綴ったものなのだけれど。
私にとって応援歌のような一文との出会いでした。
「素敵なヒト予備軍」、これって兄ちゃんのことみたい。
心根の優しいあの子が、素敵な人との出会いの中で
本来の姿が開花してくれますように。
野垂れ死にすることなく、ちゃんと独り立ちして生きていけますように。
Cherish Love
心を込めて大切に静かに見守る愛・・・
私はせっかちで、どうも不得手です。
子育ての中から発見した事実。
Cherish Love
私が一生をかけて育んでいくものなんだろうなぁ・・・
そんなことを感じた、
今年の7/20。