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『愛し合っているふたりが結婚したら幸福になるという、そんなばかな話はない。
そんなこと思って結婚するから憂うつになるんですね。
何のために結婚して夫婦になるのかといったら、苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだというのが僕の結論なのです。井戸掘りは大変なことです。
だから、べつにしなくてもいいのじゃないかと思ったりするんですよ。』
『むかしの夫婦というのは、ただいろいろのことを協力してやって、
それが終わって死んでいって、それはそれでめでたしだったんですね。
今は協力だけではなくて、理解したいということになってきている。
理解しようとおもったら、井戸掘りするしかしょうがないですね。』
結婚して21年。
一緒に暮らしていくって、なんか大変かも・・・。
少しだけ違うベクトルも時間とともにどんどん広がっていって、
交わる、分かり合えるなんて有り得ないやんか・・・。
う〜〜ん。。この先には熟年離婚が控えているんだろうか・・・。
ここ1.2年そんな気持ちがチラチラしていました。
先日、仲間が貸してくれた文庫本「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」の中で
河合さんのこの言葉に偶然出会い、はっとしました。
夫婦が理解するってしんどい作業なんや。
別にうちが大変な状態でもなんでもないのね。
夫婦間の井戸掘りはしんどいけれど、
すごいご褒美が待っている気もします。
異性を通してするこの作業は、自分が持つ性と対極(?)の世界を探求していくわけだから
おのずと女性としての自分自身をみつめていかざるを得ないでしょう。
そんな中で浮かび上がってくるあれこれを感じることは、
何かが変わっていくためには必要な通過儀礼なのかもしれません。
私は自分自身がもう少し成長したがっているのでしょうか、
そして相手をもう少しだけ理解したいのでしょうか、
このしんどい井戸掘りを、もうしばらく続けてみようと思っているようです。
続けてヨカッタぁ〜〜と、すがすがしい気持ちになる瞬間がやって来ることを信じて。