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*会えなくても、大好きな人のことを忘れてはいけません。
その人はいつも心の中であなたをはげましてくれる人なのです。
*コミュニケーションとは気持ちのキャッチボールです。
だからこそ相手の受け取りやすいボールを投げてあげましょう。
暮らしの手帖 50号より
何気なく
古い雑誌のページをめくっていると出会った言葉たち。
ふと心に留まるというのは、
きっと今、自分が大切にしたいな・・と心に秘めているコトだからなんだろうな。
書き留めて、
時々は眺めていようと思います。
ピンクネコヤナギと
小指ほどのちっちゃな花を咲かせている桜
春はもうそこまで。
ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティスの講師、
クリスティン・プライス の言葉より。
祭壇は、
自分が得ている「自分を生かしてくれるものたち」を思い出すための、ツールだ
あらためてこんな風に文字で表現されると、
あぁ・・そうだなって思います。
お位牌や故人の写真、像、神棚など・・・
そんなものが無くたって、石でもなんでもお祀りすれば
そこはもうりっぱな祭壇ですものね。
「向き合う場」の重要性を無意識に私たちは脳裏に焼き付けているし、
体に刻み込んでいるんだろうなぁ。
だから
心静かに思いを馳せ、
いろんな想いを浄化しバランスをとって生きていくのでしょうね。
自分本位な考え方の流れの中にいると、気づかないけれど、
他人からの何気ない一言や一文でハッとさせられることって多い。
クリスティンの言葉をシェアしてくれた仲間に感謝♪
人がいつまでも恋愛にあこがれるのは、
ときめく恋のためだけじゃなくって、
小さいときのあったかい気持ちをもう一回味わいたいっていうのもあるんだなあ。
自分がこの世でいちばん好きな人から、
無条件に愛され与えられるぬくもりを求めているんだ、そう思った。
お母さんであるってものすごいことだし、
人間っていつまでも切ないんだな。
『すぐそのこのたからもの』 よしもとばなな
そんな切なさを抱き続けながら、お母さんでいるって
大変な精神修行なんだろうなって思います。
そんな切なさは時にねじれ、凝り固まり、ブロックをかけられ、
一筋縄ではいかないけれど、
あるタイミングで気づくこと、そして手放していくこと
この連続で人生が送れたら素敵です。
「私のおかあさん」もそうなんだろうな。
彼女の穏やかで平和な表情を思い浮かべながら、
満たされた想いでいっぱいになるよう祈りたいです。
私も「おかあさん」だから
そんな切なさを感じてあげながら、優しく包んであげたいです。
誰の中にもある切なさを
時々自分自身が見つめてあげるということを、
私たちの内面は渇望してるんじゃないかな・・
なんて感じます。